兼業農家で幼い頃から行楽シーズンとなれば田んぼの手伝いの一員として駆り出され、泥まみれになっていた思い出から、「大変な労力のかかる仕事が農業なんだ」と数年前まで思ってました。同じ世代の人々や先輩達も同じように思っているのではないでしょうか?兼業農家はほとんどが収益が上がらず、農業離れと高齢化で10年後の農業は非常に危惧されています。
私は建築業が本職なのですが、義兄の阪神淡路大震災の被災がきっかけで、今までの建築に関する認識が覆されました。その時義兄に依頼されて施工をさせてもらったのが、ログハウスだったのですが、引渡しが済んでから、「ここはリラックスできるし、仕事のストレスが癒される」と言われたのです。この一言が私を動かしました。
それまで私は、コストや工期の短縮、強度ばかり考えてつくる建築を行っていました。しかし、この義兄の言葉がきっかけで、自然素材(国産)で家を建てる重要さ、四季に順応した「自然に逆らわない家」の意味に気づいたのです。
林業・農業・漁業と循環が上手くとれた生活は、つい最近まで、普通で当たり前の姿で各地の風土に合わせた生活スタイルとして存在していました。つまりそれは、自然と調和された「日本文化」そのものの生活なのです。
それ以来、国産のいい素材を探して産地を訪ねてまわるようになり、その中で、"森は守るから「もり」で、林は生やすから「はやし」である"という字の意味に使命感を持って林業の仕事をされている方達にも出会いました。そして、彼らの持つ「地産地消」の考えをこの「滋賀」で何か出来ないか?というところから私の
「循環素材を利用したビジネスになる農業」
への思いが強まったのです。
守山市浮気町では「浮気湧水」という野洲川の伏流水をポンプで汲み上げ町内の川に流しているのですが、その川には天然記念物の「ハリヨ」という、清水しか生息できない珍しい川魚がいます。同じく、鯉も飼われています。
ある時、リフォーム工事(冬期工事)でこの川の中の鯉を避難させる為に手を漬けたら、水の暖かさに驚きました。その時私の脳裏に、幼い頃の水遊びの風景や、ホタルが飛び交っている姿が思い出として浮かび上がってきたのです。
「これだ!この地下水を使って何か特産になるようなものはないか?」
と考えたのです。しかしその時点では農業は気嫌いしていたので、具体的には何も思いつきませんでした。ところがその工事が正月を挟んだ工事だったことから、思わぬところでヒントが得られました。お節料理の刺身を本わさびで食べた時に、「山の恵みと海の恵みこんな美味しい組み合わせ「田んぼで出来ないものかな?」という話題が出たのです。これが私の「わさび物語」の始まりです。
平成17年10月に中小企業促進法に基づく、経営革新計画「わさびの生産(栽培)・販売」が滋賀県知事と滋賀県観光労働部の承認が受けれられました。 今やっとスタートロットで40ボックスからスタートで順次拡張をしていきたいのですが、農業と商業のニッチ部分で融資の対象から外れています。
賛同して下さる方も増え、平成18年8月に透明性の高い、ミネラルたっぷりの野洲川の伏流水を利用した「山葵栽培」事業を開始致しました。現段階は、40ボックス(40㎡で640本)での野洲川の伏流水の山葵からのスタートで、滋賀県内の栽培地も決まっており順次拡張して行く予定です。団塊の世代の山葵栽培と山葵加工品の後押しのお手伝いや有機栽培用肥料も自社で研究しており、農薬や化学肥料を使用しない本来の農法を提案して行きたいと思っています。
一刻も早く「びわこ山葵」の安定供給を目指して邁進していきたいと思います。
H5年1月
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川島輝(現代表取締役)がアイアンワークスFeクラフト(個人事業)として鉄工・建築工事業を創業
精米事業も同時に開始
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H15年5月
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守山市でのわさび栽培の可能性についての研究を開始
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H17年
10月
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「野洲川の伏流水を使ったわさびの生産(栽培)と販売」のテーマーで中小企業新事業活動促進法による認定事業として経営計画の承認を滋賀県知事より受ける
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H18年5月
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有機肥料(米ぬかペレット)を使った疎植栽培による米の生産を開始
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H18年
11月
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ボックス式わさび栽培装置によるわさび栽培(40ボックス)を開始
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